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2026/07/06 21:20
いろいろな仕事
豊臣秀吉よりも3歳上、徳川家康よりは8歳上の年齢だといいます。
その中でとにかく先駆をきった。「天下統一をめざした風雲児」であり。天下を武力によって統一し、武士社会にする決意を表した。信長の功績は「畿内の宗教勢力との対決」であっただろう。日本の文化の中で始めて宗教色が薄れた桃山文化を生み出し、政教分離が達成されたのである。ある統計のよると彼は好きな武将NO1になっています。軍政両面に数々の新機軸を採用した戦国の革命児。今川義元4万の大軍を桶狭間にてわずか2千の軍勢で撃破するという強運に始まるも、天下統一事業の半ばで隙をつかれて明智光秀の謀反に遭い、燃え上がる本能寺にて自刃するという悲運の最期を遂げた。 豊臣秀吉 (motoyanさまより) 尾張の農村に生まれました。幼いころの名前は日吉丸でした。後に木下藤吉朗・羽柴秀吉・太政大臣の位についてからは,豊臣秀吉と名前を変えました。 商売や奉公など,いろいろな仕事についた後・織田信長に仕えました。信長のぞうりをふところであたためていた話や,清洲城の石垣を3日で修理した話は有名です。このようにして,まわりの人々に力をみとめられるようになり,有力な武将の一人になりました。信長の死後,すぐに明智光秀を倒し,全国の大名をしたがえて,天下を統一しました。この間に大阪城を築き,検地や刀狩を行って,武士と農民をはっきり区別しました。また,明をしたがえようとして,二度も朝鮮に大軍を送りましたが,失敗におわりました。秀吉は豪華な文化を好み,黄金の茶器や茶室などをつくらせました。やはり、関西は太閤秀吉でしょう。その立身出世は、関西人好み。千成瓢箪は、商都大阪の象徴。でも、彼の最大の功績は、太閤検地と刀狩でしょう。そして、最大の汚点は甥、秀次を自害に追いやったこと。 辞世の句 つゆとをちつゆときへにしわかみかな なにわの事もゆめの又ゆめ 露とちり雫と消える世の中に 何とのこれる心なるらん 柴田勝家 (千歳さまより) 織田信長の宿将。北ノ庄城主。斯波氏の庶流柴田土佐守の子、尾張国愛知郡の人。生年は不詳である。名は勝家、通称は権六、ついで修理亮(しゅりのすけ)。はじめ、信長の弟、信行に仕え、織田家当主に信行を擁立しようと画策したが失敗。信行誅殺の後は信長に仕えた。元亀元年(1570)、六角丞禎に攻められて、近江の長光寺城に篭城していた折、飲料水の水瓶を割って城には戻らぬ覚悟で猛襲し、ついに敵を破ったことにより「瓶割柴田」の異名をとったという伝説がある。天正3年(1575)9月、信長が越前の一向一揆を滅ぼすと、勝家は越前の内49万石を与えられて、現在の福井市中心部にあたる北ノ庄に壮大な天守閣を持つ城を築いた。 、信長の死後、後継者をめぐって羽柴(豊臣)秀吉と対立。天正11年(1583)4月、賤ケ岳の戦で秀吉軍に敗れた。 同24日、北ノ庄城にて妻のお市の方と共に自害した。享年には62歳、58歳、57歳の諸説がある。 信長の野望で一番活躍してくれる武将です。 武田信玄 (ともえちゃんさまより) 「なんかよく分からないけれど武田信玄が好きです。」 こんなコメントをもらいましたので簡単に調べて見ました。 上杉謙信 との川中島の合戦があまりにも有名です。甲斐の虎」と称される、戦国時代 最高の将。家康も信玄の政策や戦略をお手本にしたほど。上洛を前にして 病気のため、夢むなしく信州の伊那駒場で53歳の生涯を閉された。 甲斐の虎と称せられた英傑。孫子兵法に通じ、その象徴である「風林火山」を旗印とする。父・信虎を追放して家督を奪取すると、戦国最強といわれた騎馬軍団を率いて勢力を拡大。信州豪族と結ぶ宿敵・上杉謙信とは、川中島で5度戦って退かず、信州全域の支配を固持した。駿河に攻め入って今川家を滅亡に追い込むと、上洛を目指して西進。三方ヶ原の合戦では織田・徳川連合軍を翻弄して圧倒的な勝利を収めた 平将門 (高知さまより) 歴史の教科書にも、ホンの数行しか載っていないと思います。そんな平将門もNHKの大河ドラマにもなりました。坂東武者、将門。桓武天皇の子孫の坂東平氏です。中央の権力が地方に及ばなくなってくると、地方に任じられていた国司の横暴ぶりは目を見張るものになってきた。地方の豪族たちは、自分の土地を守る為に武士団を結成してこれに対抗した。土地を巡る争いの中何時も犠牲になるのは民。将門も父から受け継いだ土地を、叔父のに奪われる羽目に。若き頭領が、奪い返し、騒乱と中央からの税に苦しむ民を助けようと。坂東の地に壮大なユートピアを築こうと中央に歯向かった若き坂東武者。それが、将門です。そして、将門を称える言葉に「死して名を残す将門」とあります。死して、怨念とかし中央政権を苦しめ、やがて神となった将門。私欲に走る、中央の貴族、僧、地方の国司。公然と反旗を掲げたその行為が現代の官僚腐敗に立ち向かってくれるこんな人物がいたらいいなあという想いから平将門を取り上げました。 上杉謙信 (OTA様より) 戦国動乱の時代にあって、紺地日の丸、白地に毘字の旗幟をなびかせて、北陸・信濃・関東に出陣を重ねた。宿敵武田信玄との五度にわたる「川中島の合戦」は戦国時代の合戦中の白眉として名高い。永禄四年、上杉憲政から家を譲られ関東管領職に就き、上杉政虎、ついで輝虎と名乗る。のち出家して
謙信を称した。天正四年、本願寺と和睦し、織田信長との同盟関係を断ち、はるか遠く中国筋の毛利氏と連携して織田信長挟撃を策した。翌年九月織田方の能登七尾城を陥し、ついで信長軍を加賀手取川に撃破した。しかし、翌天正六年三月、関東への陣触れをした直後、脳溢血で倒れた。享年四十九歳。戦国時代を疾風の如く駆け抜けた。 伊達政宗 (ム-ママさまより) 独眼竜の異名を持つよう幼少の頃に疱瘡の膿で右目を失明しています。 実は政宗の遺言で、没後の肖像には右目も描かれてる。ちなみに「伊達男」「伊達巻」は政宗から来てます.政宗の遺体の鑑定が行われました。その調査の結果によると・・・ ・身長は約160?。その時代の男子としては平均的またはやや高い部類。 ・血液型はB型。・頭は長頭形で、額が広い。・顔は細面で、鼻筋が通っている。 ・左足の腓骨(ひこつ)に骨折の跡がある。・骨組み、特に腕骨、大腿骨はたくましく、筋肉がよく発達し鍛錬された体。 幼少の頃、虎哉禅師(こさいぜんじ)という教育係に、戦国の世を武将として生きていくため素直に育ってはとても戦ってはいけない、ひねくれなさいということで、人の言葉の裏を読んだりする教育をされたそうです。 毛利元就 (ム-ママさまより) 弘元の二男で政治・戦術・謀略・外交のいずれにも長じた安芸吉田郡山城主。厳島合戦では村上水軍の力を借りて陶晴賢の大軍を奇襲で破った。大内・尼子両大大名の間に板挟みになり、少ない兵力ながらその優れた謀略を駆使して毛利家を中国の大大名に発展させた名将。元就の生涯は、まさしく「暗さ」が常にまとわりつく。五歳で母、十歳で父・弘元と死に別れ、家督を継いだ・兄の興元は大内義興の上洛に駆り出される。留守を守る元就であったが、傅役・井上氏横暴を許すこととなってしまう。兄の死後、兄の遺児・幸松丸を助ける。初陣にて、武田元繁を討ち取るという大殊勲を上げるも、出雲から出てきた尼子経久に従うをえなくなる。幸松丸が死んだ。跡目を継ぐのは元就か、はたまた異母弟の元網かで家中が分裂した。元就は、将軍の命、という形で家督を相続。元網を泣く泣く討つ。合わせて、元網加担の坂氏、渡辺氏を成敗、
毛利家臣団は元就への忠誠を誓う連判状を書き、一気に結束した。毛利元就のエピソードは数多い。中でも有名な「三本の矢」はウソ話だが、これも兄弟相克で苦労した、いかにも元就らしいエピソードである。敵には手厳しいが、味方には律儀を通した。家臣もそれに従った。この家風は、幕末維新に残り、幕末・毛利家の活躍と暴走と明治維新につながるのである。 大内義隆 (しばたさまより)
山口で西の京と呼ばれる大内文化.尼子氏討伐のため出雲へ遠征。大敗し、養嗣子 晴持が溺死.それからは軍事から遠ざかり、公家や文化人を招いて学芸三昧の日々を送り家臣の信望をなくす陶隆房たち重臣の謀反に合う。何故このようになっていったのか?出雲遠征でこの世の地獄をみた義隆は戦いは空しいものであると悟ったのだろうか?とにかく義隆の重臣である守護代6名のうち5人まではこのク-デタ-に参加。「海の大名、大内」-明との交流をして大変な力を持っていたので「世にこれほどの長者はいない」といわれた。義隆は深川 大寧寺に追い詰められ、
9月1日自刃。享年45歳。そして毛利へと歴史は続いていくことになる。(しばたさまより) 豊臣 秀長 (nagao111さまより) 秀吉の弟・。
秀吉の天下統一を陰で支え、豊臣政権の統括者 ・織田信長に仕えていたころも活躍を認められ 但馬で城持ちにまで出世しています 秀吉の天下統一後、紀伊・和泉・大和を領し 「大和大納言」と称される しかし、病に勝てず 51歳の若さで死去 秀吉のために補佐役に徹し、決して自分を表舞台に出すようなことはなかった。秀吉は弟の秀長を自分の分身のように信頼し、また秀長も兄秀吉の期待にすべて応えていった。
歴史に「たら」はないと言われますが、
私はこの「たら」に挑戦し勝手な創造をしています。
戦国武将といえるかどうか、豊臣秀長です。
最初の100万石大名大和大納言が、秀吉より長生きをしていたら、、、、、無謀な朝鮮出兵があったか? 家康の時代があったか? 諸外国への対応は? 歴史上最良のNo2の力量を見たかったなと思います。
不妊症で来られているセミナーさんからがあり、陽性反応が出ましたと。とりあえずホッとしましました。良かったです。病院で頚椎ヘルニアの診断で患者さんが来られました。まず症状を伺うと・・・肩が痛いそうなのです。もう少し細か
く訊くと動かすと痛いそうなのです。そして手を挙げると痛むそうなのです。どう考えても五十肩です。ちなみにこの患者さん60代だそうです。60代でも五十肩です。そこで実際にチェックしてみると・・・この方の痛みは頚椎とは関連していません。
やっぱり五十肩でした。でも首を動かしてもらうと・・・左に曲げてもらうと首のいた辺りに鈍痛のようなものが広がります。これはヘルニアでした。ということで今回は經絡を使って治療していました。五十肩は6~7割改善、ヘルニアで出る症状は改善しました。ただヘルニアは実際に出ているのでまた症状が出てくると思いますが・・・とりあえず五十肩はヘルニアではないので、あと数回でだいたい良くなると思います。
血小板減少症の患者さんが来られました。この方漢方を飲む前は血小板の数値が3万で(正常値15万以上)でこれ以上だとステロイドの内服ではコントロールできないかもしれないと言われていたのです。そこで漢方薬を出してみることにしたのです。そして服用されてから半年くらい経過した今日、数値は9万を超えたそうです。(危機的なレベルでは無くなった)過去にもこの疾患の患者さんを見たことはあるのですが、その時は8万が限界でした。ステロイドの量も減らせそうと喜んでおられました。ほんとによかったです。この方も過去こんなに増えたことは無いそうです。正常値まで行くのか楽しみです。また経過を書きます。 局、今月妊娠されたのは3名でした。やっぱり予想外の人が多かったです。いつか予想通り妊娠と
なるように治療に精進しようと思います。不妊治療の患者さんからTELがあり陽性反応が出たとのこと。この方、そろそろ体外受精をしようとぼちぼち心の準備を始めて間もなくのことでした。こういう時に妊娠しやすいのです。とりあえず今月2人目です。良かったです。 不妊治療の患者さんが来られました。この多のう胞性卵巣で排卵がなかなか起こらないのです。こういう生理不順には活血薬といって血液をサラサラにする漢方薬を用いるケースが多いのです。実際必ずではないですが、以前より排卵がおこるようになってきています。この患者さんが帰り際にそういえば、ここ2~3カ月で体重が5kg減ったんですよねといわれるのです。格別ダイエットしたわけではないということなのでチェックしてみると、この薬がダイエットに効いているのです。大体ダイエットに使うものは新陳代謝をあげるものか血流を良くするものなのです。別に意識したわけではないですが、結果的に一石二鳥だったようです。 ダイエットを始めたセミナーさんからTELがありました。様子を伺うと、まだ体重は変わっていないが排尿と汗と排便は良くなったとのこと。できれば2週間で500gでも減っていてほしかったのですが、本人の希望でこのまま続けてみることにしました。これがよい兆候だと良いのだけれど・・・不妊症の患者さんからTELがあり陽性反応が出たとのこと。やった~!!この方、まだ若いのですが、体外で残っている卵を使ったらもうしないことになっていたのです。滑り込みセーフです 不妊治療を受けられている患者さんがこられました。この間初めて体外受精をやったのです。結果は陽性とのこと。よかったです。でもまだまだ10週くらいまでは油断できません。このまま無事に出産までいってほしいものです うちの父の話です。父と話をしていて最近血圧が高くなったとのこと。(以前は上の血圧が100位だったのが今は150以上)父はやせ形で、体重も減ってきているし、ストレスは多少はあると思いますが、それで血圧が上がるようなことは無いはずです。塩分関しても若干は多めかもしれませんが、基本宅配の弁当でカロリーや塩分を計算されたものを食べているので、それほど上がるとは考えられないです。そこで今飲んでいる薬をチェックしてみることにしました。そして気付いたのは驚愕の事実。何と父は以前これを飲んだら胃の調子が悪くなるから止めてくれと言った漢方薬をのんでいたのです。病院から出されるやつで、多分連続して1年は飲んでいると思います。この薬は六君子湯で胃が悪い人に使うものなので、父の症状からいえば出してもおかしくないものなのです。が・・・合わないのです。そしてこの薬、高麗人参が入っているので、長期服用すると、血圧が上昇することがあるのです。これに違いないと思いチェックすると・・・あれれ・・・?違います。では今病院に2つかかっているのでそれらの薬をチェックしてみます。これも問題ありません。そこでこれらをすべてチェックしてみると・・・出ました!!恐らく病院で出ている薬を飲むと、肝臓の薬の解毒がそちらばかりに集中して、六君子湯の解毒に手が回らなくなるのだと思います。高血圧のポイントに出てくるのです。そこで改めてどうして六君子湯が駄目か説明しました。父は六君子湯を消化剤と思っていたようです。広い意味では胃薬なのですが・・・それにしても・・・80歳を過ぎるとやはり記憶力の衰えは顕著です。でもこれで目星がついたと思います。良かったです。ただ高麗人参で上昇した血圧は通常下がらない、もしくは下がりにくいと言われているので、ちょっとどうなんだろう?という不安もあります。また経過を書きます。 不妊症の患者さんからtelがあり、陽性反応が出たとのこと。この方漢方でうまくゆかなくて、
最近気功、温熱療法に切り替えたのです。特に温熱療法は手ごたえがあったので納得と言えば納得です。
やはり治療法も患者さんによって向き不向きがあるなあ~というのを改めて感じました。 不妊症の患者さんからTELがあり陽性反応が出たとのこと。今月2人目です。一人目書いたっけ?まあとりあえず良かったです。 毎月整体に来られる患者さんが数ヶ月前から左耳から顎、頸部リンパ、後頭骨付近まで言葉にできないような痛みが出てくるということで、治療をし始めたのです。最初は整体のみ、次は漢方を併用してしたのです。漢方を併用して最初は良かったのですが、途中で効かなくなり、次は經絡を使った治療に切り替えたのです。その治療は漢方よりもう一つよい感じだったのですが、完ぺきではない感じでした。でもその治療をしていてふと気付いたのです。その方は技術系のお仕事をされているので、通常携帯や財布をたくさんポケットに突っこんでいるのです。そこでいつも入れているポジションにもろもろのものを入れてもらうと・・・今の状態と全く同じ状態が出てきます。そこでさらにチェックしてみると、お尻のポケットのものはほとんど影響しておらず、胸ポケットに入れている2つ携帯が影響しているようでした。そこでそれらを極力胸ポケットに入れないようにしてもらうことにしたのです。またその後の経過を書きます。 ガンの患者さんが来られました。この方手術をしてその後ガンマーカーが下がらず治療に来られているのですが、漢方を服用して2カ月半くらい経ちますが、今回初めて正常値の枠に入ったそうです。これで抗がん剤をしなくて済むと嬉しそうです。ほんと良かったです。でもガンというのは侮れないものです。まだまだ治療の終わりまでは随分時間がかかります。このままうまくゆけばよいのだけれど・・
・胃腸の調子が悪いという親子の方が二人一緒に相談に来られました。症状としては一人は逆流性食道炎、一人の方は原因不明で妙名も付いていないのですが、過敏性腸症候群と胃腸虚弱がセットになった感じです。どちらの方も共通していたのが半夏瀉心湯というお薬です。普段はあまりそういうことを思わないのですが、これって親子だからかなと思いました。ただ娘さんの処方は完ぺきではないので、どこかで修正する必要が出てきそうな気がします。また経過をかます。 自律神経失調気味で相談に来られていた方からTELがありました。今まではパソコンの近くに頭を向けて寝ていたのを逆向きに寝るようにしてもらったのです。そうすると今まで出していた薬が合わなくなった感じがしたのです。というか薬が要らない気がしたので、薬を飲まずそのまま様子をみて後日連絡してもらうことにしたのです。そして今日連絡があり調子を伺うと薬を飲まなくても順調とのこと。こういうこともあるのです。食あたりで半断食状態だったのですが、結局完全に絶食しないと無理そうだったので、結局1日半断食しました。そして今日から復活です。久しぶりにいつもの量を食べるとちょっと多いかんじです。でもお腹の調子が良いということは幸せなことだと改めて実感しました。感謝!!です。 アレルギー体質でときどき
通販で購入するセサミンサプリメントを飲み
副作用で、急に右手の手首に湿疹ができているとのことで急きょ来られました。早速話を伺うと手のかゆみは5日くらいで今日は少し落ち着いてるそうです。一番考えられるのは食べ物によるアレルギーです。そこで最近何か変わったものを食べていないか訊きました。そうするとキムチを食べているそうなのですが反応しません。もっとよくよく考えてくださいということで再度考えてもらうと・・・韓国のりを最近食べているそうです。そこでそれをチェックすると・・・ビンゴです。この方には韓国海苔が合わないようなのです。更に最近吐き気がひどくだるいそうなのです。そこで韓国海苔を再度チェックすると・・・問題ありません。そこで今度はキムチをチェックすると・・・ビンゴです。多分キムチの中の乳酸菌か何かがこの方には合わないのだと思います。とりあえずその両方を止めて様子を診てもらうことにしました。この方はどうも韓国には住めないようです
。
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日記
2017/05/31 18:55
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